2016年08月17日
【お盆に想う 第7回最終回~ジャーナリスト和多田進さん~】
今年6月22日にお亡くなりになった
ジャーナリストの和多田進さんを偲んで
和多田さんによる田野城のインタビュー記事を
数回に分けて掲載しています
(田野城は ”死に別れた” と思っていないそうですが)
本日はその第7回目、最終回です。
和多田さんとの初めての出会いは、
田野城が静養のために暫く移り住んでいた北海道帯広市
まわりは畑と林そして空の中
何故だかわからないが(直接、伺ったことがないので)
田野城に興味を持ってくれた和多田さんは
馬小屋を改築した当時の住まいまで訪ねてこられました
その時のインタビューが
『現代ニッポンにおける人生相談』(週刊朝日別冊1997年6月15日号)
に掲載されました。タイトルは
「日本の音楽業界になじめない私の理由」
以下、続きの転載です(和多田さん: WS、田野城: TH)
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「日本の音楽業界になじめない私の理由」
|生意気だ、お前なんか追放してやる!
と音楽業界のエライ人に
言われてしまいました|
WS:シンデレラ・ボーイだ。その後、日本の音楽状況について
いろんなことを考えたのでしょう。
TH:考えさせられましたね。音楽とは何なのかを教えるはずの
音楽大学と教授陣の考え方が閉鎖的すぎます。
音楽家を志す人達がもっと自由に、ジャンルを超えて勉強したくてもそれが出来ない。
教育システムがまったくつくられていないわけです。
と言う事は、幅の広い人材を生み出せないと言う事です。
音楽家にとって作品を発表する事も大変重要な役割ですが、その場合、
レコーディングをするエンジニアが本当に重要になってきます。
しかし、日本ではエンジニアの勉強をしたくても学ぶ場所、システムが
存在しないのです。
レコード会社のプロデューサーやディレクターも同様で、
その言葉の意味も欧米とは違います。
日本のレコード会社に素晴らしいプロデューサーとか
ディレクターがもしいるんでしたら、僕は是非お会いしたい。
レコードの売り上げ枚数だけしかわからない彼らに
クオリティの高い音楽を売り出そうという発想は育たない。
何が芸術かわからないのだから。
僕はクインシー・ジョーンズがプロデュースした
「モントルー・ジャズフェスティバル」に出演して
プロデューサーとは何かを知らされた。
現在ジム・ベアードプロデュースによる作品を
ニューヨークで製作中ですがこの過程で、芸術に対する
意識の高さをあらためて感じましたね。
WS:教育の問題もありますね。
TH:教育が一番大きな問題です。
大学を卒業しても、大学は何らサポートしないじゃないですか。
ジュリアードでもニューイングランドでもサポートしますよ。
ワークショップというカリキュラムもそのひとつだし、
音楽家の力をどのように社会に還元していくのかということを
考えて先生は教えます。
日本の音楽学校の場合はお金だけです。
すべてマネー、マネー、マネー。
お金は重要です。
でも、ミュージックビジネスとアートという
ものの区別ができないですよ、日本はぜんぜん。
フレーズがどうの、バイオリンの音色がどうのといった
単純な問題じゃなくて
「おまえらの社会自体が成熟してないじゃないか」
というふうに外国から言われている。
それがいったいなぜなのか。
教育も含めて考えなくちゃ
どん詰まりになってしまうんじゃないですかね。
- 以上 転載終わり -
(スタッフより)