2016年08月15日
【お盆に想う 第5回~ジャーナリスト和多田進さん~】
今年6月22日にお亡くなりになった
ジャーナリストの和多田進さんを偲んで
和多田さんによる田野城のインタビュー記事を
数回に分けて掲載しています
(田野城は ”死に別れた” と思っていないそうですが)
今日はその第5回目です。
和多田さんとの初めての出会いは、
田野城が静養のために暫く移り住んでいた北海道帯広市
まわりは畑と林そして空の中
何故だかわからないが(直接、伺ったことがないので)
田野城に興味を持ってくれた和多田さんは
馬小屋を改築した当時の住まいまで訪ねてこられました
その時のインタビューが
『現代ニッポンにおける人生相談』(週刊朝日別冊1997年6月15日号)
に掲載されました。タイトルは
「日本の音楽業界になじめない私の理由」
以下、続きの転載です(和多田さん: WS、田野城: TH)
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「日本の音楽業界になじめない私の理由」
|わかった、じゃあ一緒に勉強しようね
ってアメリカの先生が言ってくれて
試験に合格|
WS:それで卒業するときがくる。
TH:ジョー・アラッド、ジョージ・ラッセルの二人に推薦状を書いていただいて、
デイブ・リーブマンに習っているという、ものすごい履歴書を持って
ニューイングランド音楽院を受験しました。
ところがジミー・ジェッフェリーという有名なサキソフォンの先生は
ジョー・アラッドが大嫌いだったんです。
それで、入試のオーディションで彼が「こいつは駄目だ」と言うんです。
ほかの先生たちは「いいじゃないか、何が悪いんだ」と言うんですけど、
ジミー・ジェフェリーだけが「こいつは駄目だ、こんな吹き方はありえない」って言うんです。
相当、推薦状が気に入らなかったみたいです。あとでいろいろと理由がわかるんですが。
WS:試験は初見でやるのですか。
TH:初見で、ワン、トゥー、スリー、ハイですよ。
学校のリズムセクションの生徒がいっしょに演奏してくれるわけです。
WS:どこか見所があったのかな?ツラ構えがいいとか(笑)
TH:後から聞いた話では、ジョー・アラッド先生は
「学校にとって非常に重要だろう」
というすばらしい推薦状を書いてくださったそうです。
デイブ・リーブマンが日本に来たとき僕の親と会って、
「面倒を見るからニューヨークに来るように」
と言ってくれたそうです。
ものすごく変わっていると言われたんですって。
もし僕にいいところがあったとしたら、それはイノシシのような
突進力だったんじゃないかと思うんです。
先生方はチャンスを与えてやろうじゃないか
というふうな広い気持ちで
いらっしゃったんじゃないですか。
- 続く -
(スタッフより)