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【お盆に想う 第2回~ジャーナリスト和多田進さん~】

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今年6月22日にお亡くなりになった
ジャーナリストの和多田進さんを偲んで
和多田さんによる田野城のインタビュー記事を数回に分けて掲載します
(田野城は ”死に別れた” と思っていないそうですが)

今日はその第2回目です

和多田さんとの初めての出会いは、
田野城が静養のために暫く移り住んでいた北海道帯広市

まわりは畑と林そして空の中

何故だかわからないが(直接、伺ったことがないので)
田野城に興味を持ってくれた和多田さんは
馬小屋を改築した当時の住まいまで訪ねてこられました

その時のインタビューが
『現代ニッポンにおける人生相談』(週刊朝日別冊1997年6月15日号)
に掲載されました。タイトルは

「日本の音楽業界になじめない私の理由」

以下、続きの転載です(和多田さん: WS、田野城: TH)
—————————————
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「日本の音楽業界になじめない私の理由」

 |楽器も英語もできないけれど、
     アメリカの音楽学校目ざして
      飛んでいってしまった僕|

WS:どうしてサックスだったの。

TH:ジョン・コルトレーンを体に感じたんです。
決定的だったのはエルビン・ジョーンズの
『ライブ・アット・ライトハウス』
という2枚組のライブのアルバム。

サキソフォンプレーヤーがデイブ・リーブマンと
スティーブ・グロスマンだった。

それからマイルス・デイビスの後期のアルバムの
サキソフォンプレーヤーがやはりデイブ・リーブマンと
スティーブ・グロスマンだった。

聴いて、すごいショックを受けました。

WS:リーブマンを聴いただけで選んだわけ?
不器用な人間は、あの楽器の姿だけで恐れちゃいますよ。

TH:専門家になる気がなかったからじゃないですかね。
ちょっと触ってみた、という程度の話です。

WS:18歳だったわけですね。

TH:卒業は18。でも僕は大学受験に失敗するんです。
日本の大学に入りたくなかったから失敗は大賛成ってわけでしたけど。

WS:勉強ができなかったんだ(笑)。

TH:ハイ、そのとおりです。特に受験勉強が嫌だった。

 - 続く - 
(スタッフより)

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音楽のことで悩んでいる人へ

ホ−ムペ−ジを開設してから、僕のもとに「アメリカに行きたい!」「留学したいのだがどうすれば良いでしょう・・・」「サックスを使って即興演奏をしたい!」など、数多くの熱いメッセージが届けられている。こういった意見が届くたび、かつて僕もあなた達と同じ時期、心に抱き漠然と悩んでいた事を懐かしく思う。

田野城寿男プロフィール

サックス・プレーヤー。1958年生まれ。78年、ボストンのバークリ−音楽大学入学。在学中、ニューヨークでデイブ・リーブマンにサックス、フルート、音楽理論を師事。・・・91年、「25周年記念 スイス・モントルー・ジャズフェスティバル」に出演。この年、特別プロデューサ−として迎えられたクインシー・ジョーンズは、田野城の音楽とオリジナリティを「おまえは誰にも似ていない」という言葉で認め、抜擢した。

Tano-ism(タノイズム)

世界共通の言語である音楽は、国や民族、宗教の違い等を超えて、人の心を豊かにしたり、幸福にする力を持っています。だから音楽をする人間は地域や社会に貢献できるし、貢献していくべきなのです。

僕の言葉では、音楽は、人が人を想う「愛」だということになります。

田野城寿男が考える音楽教育

私は小学校から高校に至る迄、大の学校嫌いでした。
登校拒否に無断欠席は当たり前。もちろん、塾なんて行った事がありません。何故かというと、私にはどうしてもわからなかったからです。

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