2016年08月12日
【お盆に想う 第2回~ジャーナリスト和多田進さん~】
今年6月22日にお亡くなりになった
ジャーナリストの和多田進さんを偲んで
和多田さんによる田野城のインタビュー記事を数回に分けて掲載します
(田野城は ”死に別れた” と思っていないそうですが)
今日はその第2回目です
和多田さんとの初めての出会いは、
田野城が静養のために暫く移り住んでいた北海道帯広市
まわりは畑と林そして空の中
何故だかわからないが(直接、伺ったことがないので)
田野城に興味を持ってくれた和多田さんは
馬小屋を改築した当時の住まいまで訪ねてこられました
その時のインタビューが
『現代ニッポンにおける人生相談』(週刊朝日別冊1997年6月15日号)
に掲載されました。タイトルは
「日本の音楽業界になじめない私の理由」
以下、続きの転載です(和多田さん: WS、田野城: TH)
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「日本の音楽業界になじめない私の理由」
|楽器も英語もできないけれど、
アメリカの音楽学校目ざして
飛んでいってしまった僕|
WS:どうしてサックスだったの。
TH:ジョン・コルトレーンを体に感じたんです。
決定的だったのはエルビン・ジョーンズの
『ライブ・アット・ライトハウス』
という2枚組のライブのアルバム。
サキソフォンプレーヤーがデイブ・リーブマンと
スティーブ・グロスマンだった。
それからマイルス・デイビスの後期のアルバムの
サキソフォンプレーヤーがやはりデイブ・リーブマンと
スティーブ・グロスマンだった。
聴いて、すごいショックを受けました。
WS:リーブマンを聴いただけで選んだわけ?
不器用な人間は、あの楽器の姿だけで恐れちゃいますよ。
TH:専門家になる気がなかったからじゃないですかね。
ちょっと触ってみた、という程度の話です。
WS:18歳だったわけですね。
TH:卒業は18。でも僕は大学受験に失敗するんです。
日本の大学に入りたくなかったから失敗は大賛成ってわけでしたけど。
WS:勉強ができなかったんだ(笑)。
TH:ハイ、そのとおりです。特に受験勉強が嫌だった。
- 続く -
(スタッフより)