「PIPERS」(パイパース)1996年2月号
アルバム製作のため、ニューヨークにまたまたやって来た。昨年はここでスタンダードを中心にジャズを収録したが、今回は弦楽四重奏を大きくフィーチャ−したモダン・コンテンポラリーな作品づくりに挑戦することになる。かねてよりクラシック・フィールドと共演をしたかっただけに実に楽しい時を過ごすことになった。
ニューヨーク・ケネディ空港、東京からは片道12時間以上飛行機で飛び続けなければならない。僕が学生の頃はまだ直通便がなく、アンカレッジ経由でたいへん遠かった。
その学生の頃から僕はこのフライトの度にサックスのバランスがくずれてしまい、運搬にとても悩んでいた。ひどい時など、鳴らない音をかかえたままステージに立つこともあったほどだ。
が、昨年からサックスを完全にホールド状態にするファイバーケースを見つけ、このケースのおかげでサックスのコンディションを損なわずに今回もニューヨークヘやって来ることができた。これは優れものである。
今回はレコーディングのため、わざわざ特別に作っていただいたシルバーソニック・ブラック・ラッカーのテナーとソプラノだけに、壊れてもらってはたいへん困るのである。ニューヨークにはこの楽器のスペアなどないからだ。
楽器は特にレコーディング中は非常にバランスがくずれやすくなるものだ。スタジオの各ブースの温度差にも敏感に反応してしまう。
レコーディングを行った「マスター・サウンド・アストリア」のエンジニア、ディビットは僕に言った「デビット・サンボーンはレコーディングの時、4〜5台のサックスを持ち込んでくる。それに驚いたことにリペアマンも同行するんだ」また「録音の途中にサックスのバランス調整だけで数時間中断してしまう」とも言い、笑っていた。サンボーンは自分にとっていい音がでるまでまったく妥協しないのも素晴らしいし、またそれを認めるレコーディング・スタッフも見事だ。
僕はアメリカに着くとさっそく友人のリペアマン・ロバート・ロメオのファクトリーへこのヤニ−・ホーン(ヤナギサワ・サックスのことをニューヨ−カーはこう呼ぶ)を持ち込んだ。彼は僕がニューヨークにいる時、いつでもサックスの調整をしてくれるいわばホーム・ドクターのような存在だ。
優れたリペアマンがいてこそ安心してプレイできる。そんな彼のもとへはソニー・ロリンズ、ジョー・ヘンダーソン、ボブ・バ−グ等、一流アーティストたちが修理や調整のためにやって来る。彼はリペアマンとして、また音楽を愛する同業者として、優れたアーティストだと僕は思っている。
そんな彼が僕のケースを開いて、このシルバー・ソニック・ブラック・ボディのヤニ−・ホーンを見た時、開口いちばん叫んだ。「ビューティフル・ホーン!」
ニューヨーク・・・もう少し正確に言うなら、マンハッタン。ボストンのバークリ−音大生だった頃、デイブ・リーブマンのレッスンを受けるために片道4時間、電車に揺られ通った街だ。
この場所だけは実に不思議でアメリカでありながら最もアメリカでないところ・・・。世界中の人種が集まり、違った言葉が町中を飛び交う。24時間ノンストップの地下鉄をはじめ、ここマンハッタンは異常なエネルギーを発散し続けている。
当然のことながら、音楽も実にすごい。リンカーン・センターを中心にクラシックや現代曲、ビレッジにはジャズ、そしていたる所にアシッド・ジャズ、ファンク、ポップにロック、リズム・アンド・ブルースと世界の最新ミュージック・シーンをここでは体験できるのだ。
僕はレコーディングするにあたり、思いっきり自由になれる場所としてこのマンハッタンを選んだ。そして、僕はウエスト80丁目あたりに住居を構えた。僕の滞在先のアパートには24時間体制でドアマンがフロントに立っていた。5人のドアマンの中で最年長は70歳を越えている。彼は32年間と8ヶ月、このドアの前でずっとこの街を見続けてきたという。
意志の強そうな低く「ここのことはみんな知っているよ」と言い、サックスケースを下げて出入りする僕をつかまえて「どんな音楽をやっているんだい?」と尋ねた。「ジャズさ」僕が答えると、顔中しわだらけで大きな目をした彼は静かな口調で「All Right」とゆっくりうなずいた。
今年から市長が率先して警察体制を改革した結果、依然には想像もできなかったほど治安が良くなった。ひと昔前は、人も寄りつかないほど危険の多発していたこの界隈も、今は夜10時を過ぎても小さな子供連れや、犬のお散歩をする女性や老人を多く見かけるようになったし、この辺りで地下鉄を下車する連中はホワイト・カラー族が多くなっている。
ここが最近の人気スポットなのだ。また生活するには実に便利なところで食料品は午前0時までオープンしているフェアウェイ・マーケット。値段が他店より安く、いつも賑わっている店だ。
次にマンハッタンのお惣菜ナンバーワンを誇る高級志向の「ゼイバース」。ここのロシアンケーキ、ニューヨーク・チーズケーキ、そしてタピオカ・プディングは最高に美味しい!もうこれ以上成長のいらない僕の体・・・でも、おいしいものが僕に近づいてくるのである。この隣のべ−グル専門店もその一つである。
少し歩くと「ビック・ニック」というやたら古めかしい看板が目に入ってくる。確か1940年代頃創業のニューヨークでいちばん旨いハンバーグの老舗で、ここもまた24時間ひっきりなしにいろいろな人が出入りしている。
またこれらの美味しい店や繁盛している店の看板の下には釣り銭をもらうためにコーヒーカップを片手にした浮浪者がいる。なんと彼らは時間ごとにこれらの店を巡回しているのだ。その「ビック・ニック」の看板に目をやりながらジョン・コルトレーンの「ビック・ニック」のメロディをつい口ずさんだ。きっとコルトレーンもこの辺りをよく歩いていたのだろう。
ザ・ローレンシャン・ストリング・クァルテット。現代曲を得意とする彼らはニューヨークを中心にヨーロッパ、アジアへ活動を広げているが、本格的にジャズとのカップリングは初めてで、僕同様情熱を持って作品作りに参加してくれた。
マンハッタンの街中を抜け、深々とした木々の生い茂る静かな郊外に位置するセント・ローレンス・カレッジ。大学の音楽室を借りてリハーサルを行った。この大学の音楽科はクラシックだけである。学内でサックスとストリングスのアンサンブルが鳴り響くと、このとても興味深い音楽にキャンパス内の人たちはずいぶん驚いた様子だ。「何のリハーサル?コンサートがあればぜひ聴きに行きたいな」と僕は何度も呼び止められた。
ここはアメリカの地で僕がいつも感じることは「音楽のジャンルに境界線はない」こと。自分の土俵とたとえ相反する土俵に上がっても、堂々としていて自分の意見を常に持っている。そして「EXCELLENT」と素直に自分の気持ちを伝えてくる。
考えてみると「創造」という集合体の中でそれぞれが別の土俵を構えていたとしても、立体的な土俵の高さはすべて同じところにあるのではないかと思う。だから、年功序列を重視するとかしないとか、収入が高いとか低いとかそういう上下関係は無用なもので、それこそ全く違う次元に存在するように思える。真っ直ぐ平でなんのしがらみもないこの土俵だからこそ僕は自由にその上で飛び回って遊ぶことができるのである。
ラフなリハーサルがだんだんと積み重なっていくうちに、ストリング・クァルテットの仕上がりも急ピッチになる。どのように演奏すれば最も曲に適しているのか、彼らはあらゆる可能性を追究してくる。僕は彼らの音楽に対する姿勢の素晴らしさに演奏家としてのプライドを見ることができた。
「セサミ・ストリート」誰もがこの名前を一度は聞いたことがあるだろう。この番組を見たことがある人も多いと思う。僕は今回のニューヨーク滞在中、アパートで何度かこの「セサミ・ストリート」を見た。
この番組に使われている音楽をよく聴いてみると、ものすごく完成度が高いのに気づく。BGMには現代曲を弾くピアノ、ロック・ビートのドラムス、ファンキーなエレクトリック・ベース、シンバル・レガートがスウィングするジャズ、美しいバイオリンのクラシック and many many・・・という具合にだ。
僕は「なんて素晴らしい音楽があふれているんだ!」と興奮させられてしまった。子供にもまがいものを聴かせず、大人の音楽を聴かせている。幼児に赤ちゃん言葉を使わずにしっかりと大人の言葉で話しかけているのと同じことだ。
アメリカに住んでいる子供達は、まったく自然になんの弊害もなく、このセサミ・ストリートを代表するようなテレビ番組を見聴きして育っていく。ふだんの生活の中から音楽の楽しみ方やセンスを知らないうちに磨かれているわけである。
アメリカ人が表現力豊かでリズム感が良いと言われる理由はこういうところから来ているんじゃないだろうか。幼少からいろんな種類の音楽を楽しむ方法を知っている彼らにまがいもの音楽は通用しない。なぜなら音楽に秘められた魂を識別、認識する力を身につけているからだ。
僕がなぜニューヨークでレコーディングをしようと思ったのか。それはここニューヨークという街が僕の音楽に対する意欲をさらにいっそう高めてくれるからだ。
またこの街は、自分の持っている未知の能力を限界まで開発せざるを得ない状況においこんでくる。そうしなければ、ニューヨークで生きていくことは極めて困難だ。そうして集まってきた一流ミュージシャンたちの中、このマンハッタンで僕の愛器、ブラック・ヤニ−がうなりをあげた。