2016年09月02日
【転載 『楽譜のいらない音楽授業』_ 第8回 ♪一期一会 -フィラデルフィアの夜- ♪ vol.4(最終話) 】
肺炎でドクターストップを受けた田野城は
ニューヨークレコーディングを中断し、
音楽業界から暫く退いていた時期があります。
その間、自身の経験から強く音楽教育に関心を持ち、
さまざまな垣根のない教育実践を行ってきました。
その活動が10年目に入った頃、和多田 進さんから
お声をかけていただき、和多田さん編集長の地域ポータルサイト
『北海道人』にて初めてのメルマガ連載を担当させていただきました。(2007年3月)
「好きなことを自由に語っていい」ということで始まった
『田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」』。
演奏家に本格復帰を決意するまでの約1年6ヶ月続いた記事の中から
スタッフが選んだいくつかを皆さんとシェアしたいと思います。
型破りで破天荒な田野城の半生や、考え方が読者の皆さんの清涼剤になれば幸いです。
では、一期一会 vol.4(最終話) をどうぞ。
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画像引用元: http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3650/1.html
画像引用元:https://www.whitehouse.gov/blog/2010/10/05/awe-inspiring-chapter-americas-history
【 ♪一期一会 -フィラデルフィアの夜- ♪ vol.4(最終話) 】
アメリカに忠誠を誓った移民らで編成された「外人部隊」は
ヨーロッパ戦線でドイツと戦った。非常に勇敢であったそうだ。
「恐怖心で最前線から逃げるアメリカ兵が続出する中、
最後まで逃げ出さずに前線で戦い続けたのが私達、外人部隊だった」
と淡々と語る。
そしてすこしの間をおいて、重い口調でこう言った。
「ヨーロッパ戦線から沖縄へ出陣が決まった時は、本当に辛かった。
それまで日本人としての誇りを心の支えに戦ってきた私たちが、
日本人を相手に戦う事になるなんて……。
私達外人部隊が日本兵に向けて銃を撃てるか?
それだけは絶対にしたくない……。だから、早く降伏して欲しい!
早く戦争が終わって欲しい!ただそれだけを願った」
私は、黙って聞くだけだった。
オオエさんの複雑な心境に、私は言葉を失った。
戦争を経験していない私達の想像を
遥かに超える過酷でリアルな生き様に
20歳の私はショックを隠しきれなかった。
当時アメリカに住む日本人は、
戦争という名のグローバリゼーションに翻弄されたのだ。
「この事実を君たち日本の若者に伝えたかった、
最後まで聞いてくれてありがとう。
是非、日本に戻ったらこの話を伝えてください」
オオエさんの話が終わる頃には、もう外は明るくなっていた。
当時、既にご高齢でいらっしゃったオオエさん。
心臓が弱く常備薬のニトログリセリンを手に握りながら、
夜通しかけて私に語ってくれた姿は、
30年経った今も決して記憶が薄れる事はない。
ー 一期一会 終わり ー
(スタッフより)