世界共通の言語である音楽は、国や民族、宗教の違い等を越えて、人の心を豊かにしたり、幸福にする力を持っています。だから音楽をする人間は地域や社会に貢献できるし、貢献していくべきなのです。僕の言葉では、音楽は、人が人を想う「愛」だということになります。だからこそ、演奏の技術を伝える前に、そうした音楽の持つ意味や、素晴らしさを伝えていきたい。音楽をすることの延長に、自分の生き方、社会との関わり方を考える道を据えてみたいと思っています。

「ジュニア・ビックバンド・スクール」の冒険 vol.2 / 3


技術指導を本意としない田野城さんのレッスンは、さながら音楽を通した人間塾だ。取材でのぞいたレッスンでは、例えばこんなひとコマがあった。


「男同士が好きだって言いながら抱き合ってたらどう思う?」


「そんなの変態だよ~!」


「どうしてさ?」


「だってみんなそう思ってるよ」


「みんなが思ってるから自分も思うだけか?じゃあさ、好きでもないのに好きだってだまして女性をもてあそんでる男と、本当に好き同士の男ふたりと、どっちが変だ?」


「う~ん…」


「自分はどう思うか、まず自分でちゃんと考えて見よう。演奏も同じだ。音楽って自分を表現することなんだ。じゃあ自分って何だって思うだろう?それを考えていくことが、個性になるんだ」


与えられたことをこなしていくのが勉強だと思っている小学生たちは、いきなり自己表現をしろ、と言われてもとまどうばかり。早くから即興演奏に挑戦させるのも型破りだ。


しかし、みんなで演奏をすると楽しいし、うまくできると、それを聴いてくれる人も楽しくなる。そんなことがわかってくると、音楽は人を楽しませるものだ、という意識が芽生えてくる。


「僕はこう考えています。音楽をやる人間には、人を幸福にする力がある。だから演奏家は、広い意味で地域や社会に貢献していくべきだ。音楽は、自分や仲間うちで楽しむだけのものではない。それだからこそ、社会にミュージシャンが存在する意義があるし、彼らには、音楽をつくる喜びがある」。


現在世界の第一線で活躍するバイオリニスト、千住真理子さんはあるエッセイで次のようなことを言っている。


自分は15歳までに、演奏に必要な技術を全てマスターしてしまった。でもそこでやることが無くなってしまった。自分には技術だけで中身がないと気づき、どうしたら中身ができるのか途方に暮れた、と。


技術を高めたり、コンクールに優勝するのが目的なら、音楽はあくまで自分の内側の問題だ。でも、そうじゃない。自分は何のために音楽をするのだろうと問い続ける場。それが、田野城さんの言う音楽教育だ。


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