世界共通の言語である音楽は、国や民族、宗教の違い等を越えて、人の心を豊かにしたり、幸福にする力を持っています。だから音楽をする人間は地域や社会に貢献できるし、貢献していくべきなのです。僕の言葉では、音楽は、人が人を想う「愛」だということになります。だからこそ、演奏の技術を伝える前に、そうした音楽の持つ意味や、素晴らしさを伝えていきたい。音楽をすることの延長に、自分の生き方、社会との関わり方を考える道を据えてみたいと思っています。

日本の音楽業界になじめない私の理由 vol.1 / 10


週刊朝日別冊「現代ニッポンにおける人生相談」1997年6月15日号/朝日新聞社 インタビュアー:和多田進



楽器も英語もできないけれど、アメリカの音楽学校目ざして飛んでいってしまった僕



--- 高校を卒業するまで田野城さんは楽器を扱ったこともなく、楽譜も読めなかったそうですね。


高校を出るまでは大学に行くのか何をするのか、ぜんぜん決めてなくて、とりあえず長く外国に滞在したいと思ってたんです。それで留学を考えました。高校からジャズを聴き始めて、本場の人たちが何を食べて、何を見て、何を考えているのか知りたかった。


後に僕の先生になって下さったデイブ・リーブマンにすごく興味を持っていて、ぜひ会いたいと思いました。住んでいる所は知らなかったけど、アメリカに行けばいるだろうって。


ジョージ・ラッセルというコンポーザーの方やジョー・アラッドというサキソフォンの大先生にも会いたかった。


--- マニアックだったんだ。


そうですね。当時はフォークソング全盛期の時で、ギターの弾き語りが出来る人はクラスの人気者だった。で、ぼくはと言えば教室の片すみでスイング・ジャーナルを読んでいた。変人あつかいされていたんです。でも本場ジャズの音楽家達を知るためには楽器をやらなきゃいけない。それでぼくはサックスを選んだわけです。


--- でも・・・。


縦笛くらいは吹けました。アメリカに行く前には楽器も買った。


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