ニューオリンズで産声を上げたジャズ・・・。やがて1940年代にチャーリー・パーカーが「ビ・バップ」というスタイルをつくり、ジュリア−ド音楽院を卒業したマイルス・デイヴィスが「モード」を生み出し、ジョン・コルトレーンが「コルトレーン・チェンジ」という、従来のジャズ理論では考えられなかった音楽の進行形態をつくり出し、ジャズシーンを新しく塗り変えてきた。
ジャズは確実に進化し、これまでの感覚だけに頼るものではなく、ヨーロッパで育ったクラシックや民族音楽を取り入れて高度な知識と技術を必要とする音楽になってきたのだ。そしてその最先端を歩んでいるのが「リディアン・クロマティック・コンセプト」なのである。
留学して3年目の夏、ある幸運なきっかけから、ぼくは夢にまで見たジョージ・ラッセルにコンタクトをとることができた。指定された時刻に、ぼくはダイヤルをまわした。
「はじめまして。紹介していただいたヒサオ・タノシロです」
「はじめまして。話は聞いているが、プライベートレッスンできない。生徒をとっていないのだ」
ゆっくりとした、そして明晰な話し方だ。
「ぼくはあなたのつくったコンセプトを学ぶために日本からやって来ました」
「今、どこの学校に通ってるのかね?」
「バークリ−音楽大学です」
「そうか。しかしわたしはニューイングランド音楽院でこのコンセプトを教えているのだから、ニューイングランドに入学しなさい。そうすれば私から直接学ぶことができる」
これにはさすがに参ってしまった。が、このままでは引き下がれない。
「お願いです。一度でいいですから、ぼくにこのコンセプトを学ぶチャンスをください」
と、どうだろう。彼はこう言ったのだ。
「よし、わかった。家に来なさい」
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