世界共通の言語である音楽は、国や民族、宗教の違い等を越えて、人の心を豊かにしたり、幸福にする力を持っています。だから音楽をする人間は地域や社会に貢献できるし、貢献していくべきなのです。僕の言葉では、音楽は、人が人を想う「愛」だということになります。だからこそ、演奏の技術を伝える前に、そうした音楽の持つ意味や、素晴らしさを伝えていきたい。音楽をすることの延長に、自分の生き方、社会との関わり方を考える道を据えてみたいと思っています。

アートって何? vol.2 / 10


どれだけ自分になるかということでしょう



生き方・・・素の自分になること



写真家・荒木経惟が田野城に「コラボレーションビデオを作ろう」と突然言い出したのは、なぜなのだろうか。「あ、何か感じるなと思った人間」と会ったときはセッションをやってみたいのだと、荒木は言ったという。


田野城が荒木の申し出を受け入れたのは、荒木に自分と同じ「ベクトル」を感じたからだ。「荒木さんの方が年も上だし経験も多いから自分と等しいという気はないが、どこに向かおうとしているかという方向性は共感できた」(田野城)。


「ベクトル」という言葉を田野城はよく使う。彼にとって「ベクトル」とは、“自分の生き方の方向性”という意味だ。「ステータスより素の自分になることを求めること。そこに荒木さんと同じベクトルを感じた。


本当の自分が何なのかということはまだまだこれからのテーマなんだけど、自分の羅針盤がどこを向いているかは、はっきりと分かってる。それをカモフラージュして、うそをついて、多少ズラすことも、やろうと思えばできるんだけど・・・」


だが、自分の方向性や個性を多少とも殺して、周囲に合わせてしまってはそれはアートとは言えないと、田野城は感じている。


当の荒木のほうは『週間朝日別冊・現代ニッポンにおける人生相談』のインタビュー記事の中で、こう語っていた。


「自分が違う風になろうとかなんとかじゃなくて、自分になっていく。どれだけ自分になるかということでしょう。(中略)人生は深く考えちゃいけない。深く考えることは疲れるし、暗くなるだけでしょ」(笑)


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