世界共通の言語である音楽は、国や民族、宗教の違い等を越えて、人の心を豊かにしたり、幸福にする力を持っています。だから音楽をする人間は地域や社会に貢献できるし、貢献していくべきなのです。僕の言葉では、音楽は、人が人を想う「愛」だということになります。だからこそ、演奏の技術を伝える前に、そうした音楽の持つ意味や、素晴らしさを伝えていきたい。音楽をすることの延長に、自分の生き方、社会との関わり方を考える道を据えてみたいと思っています。

田野城寿男が考える音楽教育


私は小学校から高校に至る迄、大の学校嫌いでした。


登校拒否に無断欠席は当たり前。もちろん、塾なんて行った事がありません。何故かというと、私にはどうしてもわからなかったからです。


『学校で勉強する事に何の意味があるのか?人間は何のために生きているのか?』


この疑問に、学校の先生は「勉強をして良い成績を取りなさい」の一点張りで、私が納得するようきちんと答えてはくれませんでした。


幼い私は『だったら学校で勉強しなくてもいいじゃないか』と、原爆ドームを眺めながら、川で魚釣りをしていました。


こんな私が、学校を本当に好きになったのは、その答えを探しにボストン・マサチューセッツにあるバークリー音楽院に留学してからです。


日本で言えば、専門学校的な存在だったとはいえ、音楽経験の全く無い素人の私に入学許可を出した事は、まずとても驚きました。


日本での音楽教育を全く受けた経験が無い私を、教授は音楽のいろはから教えてくれました。今から思うと、これが凄く功を奏したのです。先入観なく、素直に受け入れる事ができたからです。


学校に行き最初に『違う』と感じたのは、教授が私の目線まで降りてきて、音楽の経験技術に全く関係なく、まず一人の人間として接してくれた事です。


例えば最初の年、世界中からやってくる才能ある学生を差し置いて、教授が私にトップの評価を与えました。間違いじゃないかと問いかける私に、教授はこう言いました。


『お前が一番努力したし、練習したじゃないか』


この事は、かつて受けた教育、単にトップダウンの教育では味わった事の無い、信頼と希望を抱かせてくれました。


そして教授は、私に考える力や心で感じる力を付けさせよう、あるいは引き出そうと常に心がけてくれました。


彼らは、記憶力や識字率だけではなく創造力が大切であると考えていたからです。


学校嫌いだった私が、何故アメリカで学校を好きになったか。


それは、受けたカリキュラムやシステムの機能性はもちろんですが、でも、その底辺にはもっと温かい血の通った人間教育が存在していたからです。


さらに私は知識や教養はもちろんのこと、人生の哲学を教えてくれた素晴らしい師匠達と出会いました。彼らは、私が子供の頃から抱えていた人生の悩みをすっきり解決してくれたばかりか、生きるべき道を指し示してもくれたのです。


この「魂を揺さぶる尊敬すべき人と出会い」が大切なのです。


基本的に、音楽も人生もチャレンジであり、他人と比較するのではなく、常に自分との比較、戦いです。


真の教育とは魂を育てる事であり、どのように設計するかで、その人の生き方が決まります。


そして知識と教養を身につけ、社会との関わり方やビジョンをしっかり提案しなくてはなりません。


自信や誇りそして勇気を持って生きてほしい、その為に、人間として良識と見識を持って生きるべき道を指し示していきたいと考えています。


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