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【転載 『楽譜のいらない音楽授業』_ 第14回 ♪一期一会2_ vol.3 (最終話)♪】

肺炎でドクターストップを受けた田野城は
ニューヨークレコーディングを中断し、
音楽業界から暫く退いていた時期があります。

その間、自身の経験から強く音楽教育に関心を持ち、
さまざまな垣根のない教育実践を行ってきました。

その活動が10年目に入った頃、和多田 進さんから
お声をかけていただき、和多田さん編集長の地域ポータルサイト
『北海道人』にて初めてのメルマガ連載を担当させていただきました。(2007年3月)

「好きなことを自由に語っていい」ということで始まった
『 田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」 』

演奏家に本格復帰を決意するまでの約1年6ヶ月続いた記事の中から
スタッフが選んだいくつかを皆さんとシェアしたいと思います。

型破りで破天荒な田野城の半生や、考え方が
読者の皆さんの清涼剤になれば幸いです。

では、一期一会2_ vol.3 をどうぞ。

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【 ♪一期一会2 -プロゴルファー田野城- ♪ vol.3 (最終話) 】

姿勢やクラブの持ち方、そしてボールの打ち方など、
それこそ一から本格的なマンツーマンレッスンがコースで始まった。


「この人、一体何の仕事をしているのだろう?」


そう思いながらも、超初心者の私は、何の疑いも持たず純粋に、
彼の言う通りにラウンドを重ねていった。


こうしてレッスンも最終段階。
迎えるは、パーファイブのストレートコース。

私は彼のアドバイスをイメージし、
レッスンの集大成として思いっきりスィングした。


……驚いた。

飛んでいくボールを自分の目で全く見る事ができなかった。

決してバンカーや池に落ちたわけではない。
真っすぐ驚くほどはるか遠くまで飛んで行ったのだ。


それを眺めていた彼の目つきが変わった。


無事コースを終えると、彼は私に尋ねた。

「ボストンで何をしているんだい?」


当時、長髪で背が高く、
学校では“インディアン”と呼ばれていた私。


「バークリーに通って、サックスを学んでいます」


そう返事をすると彼は笑顔で、


「君の風貌からは、ジャズは想像つかないね」

と言いながら、自己紹介をし始めた。


彼は、レッスンプロゴルファーだった。

ロサンゼルスで後進の育成に力を入れ、
数々のプロゴルファーを育ててきたと言う。

レッスンプロをリタイアした現在、
悠々自適な暮らしをするために
故郷ボストンに戻ってきたそうだ。


「もう誰も育てるつもりはなかったが、
君の最後のショットを見て凄いパワーを感じた。
君とならもう一回、チャレンジしたくなった。
必ずプロゴルファーにさせる自信がある! 
ゴルフの最高峰に向かって一緒に僕とゴルフをやらないか。
全て僕が指導するから」

と彼は言った。


30年前、私の記憶によると、当時アメリカで活躍する
日本人ゴルファーは誰もいなかったと思う。

正直言って、スポーツ好きの私は、
彼の誘いに心が揺れたのを覚えている。


念のため付け加えるが、私の自慢話をしているのではない。

伝えたい事はただ一つ。

生きていれば、信じがたい出会いに巡り会う事がある…

という事。


人生は、まんざら捨てたものじゃないのだ。

 ー 一期一会2 終わり ー

(スタッフより)

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音楽のことで悩んでいる人へ

ホ−ムペ−ジを開設してから、僕のもとに「アメリカに行きたい!」「留学したいのだがどうすれば良いでしょう・・・」「サックスを使って即興演奏をしたい!」など、数多くの熱いメッセージが届けられている。こういった意見が届くたび、かつて僕もあなた達と同じ時期、心に抱き漠然と悩んでいた事を懐かしく思う。

田野城寿男プロフィール

サックス・プレーヤー。1958年生まれ。78年、ボストンのバークリ−音楽大学入学。在学中、ニューヨークでデイブ・リーブマンにサックス、フルート、音楽理論を師事。・・・91年、「25周年記念 スイス・モントルー・ジャズフェスティバル」に出演。この年、特別プロデューサ−として迎えられたクインシー・ジョーンズは、田野城の音楽とオリジナリティを「おまえは誰にも似ていない」という言葉で認め、抜擢した。

Tano-ism(タノイズム)

世界共通の言語である音楽は、国や民族、宗教の違い等を超えて、人の心を豊かにしたり、幸福にする力を持っています。だから音楽をする人間は地域や社会に貢献できるし、貢献していくべきなのです。

僕の言葉では、音楽は、人が人を想う「愛」だということになります。

田野城寿男が考える音楽教育

私は小学校から高校に至る迄、大の学校嫌いでした。
登校拒否に無断欠席は当たり前。もちろん、塾なんて行った事がありません。何故かというと、私にはどうしてもわからなかったからです。

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