2016年09月23日
【転載 『楽譜のいらない音楽授業』_ 第14回 ♪一期一会2_ vol.3 (最終話)♪】
肺炎でドクターストップを受けた田野城は
ニューヨークレコーディングを中断し、
音楽業界から暫く退いていた時期があります。
その間、自身の経験から強く音楽教育に関心を持ち、
さまざまな垣根のない教育実践を行ってきました。
その活動が10年目に入った頃、和多田 進さんから
お声をかけていただき、和多田さん編集長の地域ポータルサイト
『北海道人』にて初めてのメルマガ連載を担当させていただきました。(2007年3月)
「好きなことを自由に語っていい」ということで始まった
『 田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」 』。
演奏家に本格復帰を決意するまでの約1年6ヶ月続いた記事の中から
スタッフが選んだいくつかを皆さんとシェアしたいと思います。
型破りで破天荒な田野城の半生や、考え方が
読者の皆さんの清涼剤になれば幸いです。
では、一期一会2_ vol.3 をどうぞ。
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【 ♪一期一会2 -プロゴルファー田野城- ♪ vol.3 (最終話) 】
姿勢やクラブの持ち方、そしてボールの打ち方など、
それこそ一から本格的なマンツーマンレッスンがコースで始まった。
「この人、一体何の仕事をしているのだろう?」
そう思いながらも、超初心者の私は、何の疑いも持たず純粋に、
彼の言う通りにラウンドを重ねていった。
こうしてレッスンも最終段階。
迎えるは、パーファイブのストレートコース。
私は彼のアドバイスをイメージし、
レッスンの集大成として思いっきりスィングした。
……驚いた。
飛んでいくボールを自分の目で全く見る事ができなかった。
決してバンカーや池に落ちたわけではない。
真っすぐ驚くほどはるか遠くまで飛んで行ったのだ。
それを眺めていた彼の目つきが変わった。
無事コースを終えると、彼は私に尋ねた。
「ボストンで何をしているんだい?」
当時、長髪で背が高く、
学校では“インディアン”と呼ばれていた私。
「バークリーに通って、サックスを学んでいます」
そう返事をすると彼は笑顔で、
「君の風貌からは、ジャズは想像つかないね」
と言いながら、自己紹介をし始めた。
彼は、レッスンプロゴルファーだった。
ロサンゼルスで後進の育成に力を入れ、
数々のプロゴルファーを育ててきたと言う。
レッスンプロをリタイアした現在、
悠々自適な暮らしをするために
故郷ボストンに戻ってきたそうだ。
「もう誰も育てるつもりはなかったが、
君の最後のショットを見て凄いパワーを感じた。
君とならもう一回、チャレンジしたくなった。
必ずプロゴルファーにさせる自信がある!
ゴルフの最高峰に向かって一緒に僕とゴルフをやらないか。
全て僕が指導するから」
と彼は言った。
30年前、私の記憶によると、当時アメリカで活躍する
日本人ゴルファーは誰もいなかったと思う。
正直言って、スポーツ好きの私は、
彼の誘いに心が揺れたのを覚えている。
念のため付け加えるが、私の自慢話をしているのではない。
伝えたい事はただ一つ。
生きていれば、信じがたい出会いに巡り会う事がある…
という事。
人生は、まんざら捨てたものじゃないのだ。
ー 一期一会2 終わり ー
(スタッフより)