2016年08月23日
【転載 『楽譜のいらない音楽授業』_ 第2回 ♪「行かなくていい」と母♪】
肺炎でドクターストップを受けた田野城は
ニューヨークレコーディングを中断し、
音楽業界から暫く退いていた時期があります。
その間、自身の経験から強く音楽教育に関心を持ち、
さまざまな垣根のない教育実践を行ってきました。
その活動が10年目に入った頃、和多田 進さんから
お声をかけていただき、和多田さん編集長の地域ポータルサイト
『北海道人』にて初めてのメルマガ連載を担当させていただきました。(2007年3月)
「好きなことを自由に語っていい」ということで始まった
『田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」』。
演奏家に本格復帰を決意するまでの約1年6ヶ月続いた記事の中から
スタッフがピックアップしたいくつかを皆さんとシェアしたいと思います。
型破りで破天荒な田野城の半生や、考え方が読者の皆さんの清涼剤になれば幸いです。
では、イントロダクション第2回をどうぞ。<聴き手・小笠原 淳さん>
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【イントロダクションvol.2 ♪「行かなくていい」と母♪ 】
ーーー同年輩の子供たちが教室で過ごす時間を、近所の山や川で過ごした。
「学校をサボって遊び疲れて帰宅途中に、母親にばったり。『こんな所で何やってんだ』ってことになって」
なぜ学校に行かないのかと問う母に、問い返した。「なぜ行かなきゃいけないんだ」。
母は、行かない理由を言ってみなさいと言う。「学校が大切なことを教えてくれないからだ」と、まともに答えた。少し考えて、母はやさしく言った。「それなら行かなくていいよ」
「高校までそんな感じで、学校には出たり出なかったりを続けていました」
ーーー中学生時代、ビートルズが心の友だったという。
その後、「近所の兄ちゃん」の家でマイルス・デイビスのLPを聴き、「よくわからないけど、すごいのかも」と感じた。
高校では、授業を早退してジャズ喫茶に通い詰め、卒業までに店内のレコードをすべて聴き終えた。「受験勉強なんかしてる場合じゃない」と、本気で思った。
では、何をしたかったのか。
ー 続く ー
(スタッフより)