2016年08月22日
【転載 『楽譜のいらない音楽授業』_第1回 ♪学校は答えをくれなかった♪ 】
肺炎でドクターストップを受けた田野城は
ニュヨークレコーディングを中断し、
音楽業界から暫く退いていた時期があります。
その間、自身の経験から強く音楽教育に関心を持ち、
さまざまな垣根のない教育実践を行ってきました。
その活動が10年目に入った頃、和多田 進さんから
お声をかけていただき、和多田さん編集長の地域ポータルサイト
『北海道人』にて初めてのメルマガ連載を担当させていただきました。(2007年3月)
「好きなことを自由に語っていい」ということで始まった
『田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」』。
演奏家に本格復帰を決意するまでの約1年6ヶ月続いた記事の中から
スタッフの独断と偏見でピックアップしたいくつかを皆さんとシェアしたいと思います。
型破りで破天荒な田野城の半生や、考え方が
読者の皆さんの清涼剤になれば幸いです。
まずは、イントロダクションをどうぞ。<聴き手・小笠原 淳さん>
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【イントロダクションvol.1 ♪学校は答えをくれなかった♪ 】
−−−学校に足を向けずに少年時代を過ごした。
学校が、肝腎なことを教えてくれる場ではなかったからだ。
「『人は死ぬ』ってことに気づいたんです。
何やったって最後には死んじゃうんだと。
それで全部おしまい。なんにも残らない。ものすごく怖いことですよ」
−−−故郷の広島市は、その20年ほど前に未曾有の悲劇に襲われていた。惨劇を象徴する建物に通い始めたのは、小学生のころだ。
「最初は、川で魚釣りをしながら人生を考えた。
広い川があって、潮の干満によって川の姿が変わるのを知った。
海の魚になったり、川の魚になったり。
『川は生きてる』って、その時思いました。
川は生きてる、海も生きてる、空も生きてる、地球そのものが生きてる。
ところが、原爆ドームに行って展示資料を見てみると、
そういう生命の息づかいにはほど遠い現実があるわけです。
『川も海も空も生きてるのに、人間はたった1発の爆弾で簡単に死んじまう』って、ものすごい衝撃だった。
『じゃあ、いったい何のために生きてんだろう』―。
大人なら知ってるかもしれないと思って、学校の教師に訊いてみた。そしたら、
『馬鹿野郎、そんなことより黙って勉強しろ!』だって。
それで、登校拒否。
『学校、なんにも教えてくれないじゃないか』って思いました」
ー 続く ー
(スタッフより)