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【転載 『楽譜のいらない音楽授業』_第1回 ♪学校は答えをくれなかった♪ 】

肺炎でドクターストップを受けた田野城は
ニュヨークレコーディングを中断し、
音楽業界から暫く退いていた時期があります。
その間、自身の経験から強く音楽教育に関心を持ち、
さまざまな垣根のない教育実践を行ってきました。

その活動が10年目に入った頃、和多田 進さんから
お声をかけていただき、和多田さん編集長の地域ポータルサイト
『北海道人』にて初めてのメルマガ連載を担当させていただきました。(2007年3月)

「好きなことを自由に語っていい」ということで始まった
『田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」』

演奏家に本格復帰を決意するまでの約1年6ヶ月続いた記事の中から
スタッフの独断と偏見でピックアップしたいくつかを皆さんとシェアしたいと思います。

型破りで破天荒な田野城の半生や、考え方が
読者の皆さんの清涼剤になれば幸いです。

まずは、イントロダクションをどうぞ。<聴き手・小笠原 淳さん>
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160822.jpg

【イントロダクションvol.1 ♪学校は答えをくれなかった♪ 】

−−−学校に足を向けずに少年時代を過ごした。
学校が、肝腎なことを教えてくれる場ではなかったからだ。

「『人は死ぬ』ってことに気づいたんです。
 何やったって最後には死んじゃうんだと。
 それで全部おしまい。なんにも残らない。ものすごく怖いことですよ」

−−−故郷の広島市は、その20年ほど前に未曾有の悲劇に襲われていた。惨劇を象徴する建物に通い始めたのは、小学生のころだ。

「最初は、川で魚釣りをしながら人生を考えた。
 広い川があって、潮の干満によって川の姿が変わるのを知った。
 海の魚になったり、川の魚になったり。

 『川は生きてる』って、その時思いました。
 川は生きてる、海も生きてる、空も生きてる、地球そのものが生きてる。
 ところが、原爆ドームに行って展示資料を見てみると、
 そういう生命の息づかいにはほど遠い現実があるわけです。

 『川も海も空も生きてるのに、人間はたった1発の爆弾で簡単に死んじまう』って、ものすごい衝撃だった。
 『じゃあ、いったい何のために生きてんだろう』―。
 大人なら知ってるかもしれないと思って、学校の教師に訊いてみた。そしたら、
 『馬鹿野郎、そんなことより黙って勉強しろ!』だって。
 それで、登校拒否。
 『学校、なんにも教えてくれないじゃないか』って思いました」

 ー 続く ー

(スタッフより)

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音楽のことで悩んでいる人へ

ホ−ムペ−ジを開設してから、僕のもとに「アメリカに行きたい!」「留学したいのだがどうすれば良いでしょう・・・」「サックスを使って即興演奏をしたい!」など、数多くの熱いメッセージが届けられている。こういった意見が届くたび、かつて僕もあなた達と同じ時期、心に抱き漠然と悩んでいた事を懐かしく思う。

田野城寿男プロフィール

サックス・プレーヤー。1958年生まれ。78年、ボストンのバークリ−音楽大学入学。在学中、ニューヨークでデイブ・リーブマンにサックス、フルート、音楽理論を師事。・・・91年、「25周年記念 スイス・モントルー・ジャズフェスティバル」に出演。この年、特別プロデューサ−として迎えられたクインシー・ジョーンズは、田野城の音楽とオリジナリティを「おまえは誰にも似ていない」という言葉で認め、抜擢した。

Tano-ism(タノイズム)

世界共通の言語である音楽は、国や民族、宗教の違い等を超えて、人の心を豊かにしたり、幸福にする力を持っています。だから音楽をする人間は地域や社会に貢献できるし、貢献していくべきなのです。

僕の言葉では、音楽は、人が人を想う「愛」だということになります。

田野城寿男が考える音楽教育

私は小学校から高校に至る迄、大の学校嫌いでした。
登校拒否に無断欠席は当たり前。もちろん、塾なんて行った事がありません。何故かというと、私にはどうしてもわからなかったからです。

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