2016年08月24日
【転載 『楽譜のいらない音楽授業』_ 第3回 ♪「できないから来たんだろ」♪ 】
肺炎でドクターストップを受けた田野城は
ニューヨークレコーディングを中断し、
音楽業界から暫く退いていた時期があります。
その間、自身の経験から強く音楽教育に関心を持ち、
さまざまな垣根のない教育実践を行ってきました。
その活動が10年目に入った頃、和多田 進さんから
お声をかけていただき、和多田さん編集長の地域ポータルサイト
『北海道人』にて初めてのメルマガ連載を担当させていただきました。(2007年3月)
「好きなことを自由に語っていい」ということで始まった
『田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」』。
演奏家に本格復帰を決意するまでの約1年6ヶ月続いた記事の中から
スタッフの独断と偏見でピックアップしたいくつかを皆さんとシェアしたいと思います。
型破りで破天荒な田野城の半生や、考え方が読者の皆さんの清涼剤になれば幸いです。
では、イントロダクションvol.3 をどうぞ。<聴き手・小笠原 淳さん>
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【イントロダクションvol.3 ♪「できないから来たんだろ」♪ 】
ジョン・コルトレーンやデイブ・リーブマンのサックスを聴いた時、同じ楽器をやりたいと直感的に思った。
「何を考えてこういう音を出せるんだ? 何を食べたらこういう音になるんだ? そうした疑問を解決したくてたまらない。でも、そのためにどこに行けばいいのかがわからない」
心の師が3人いる。のちに実際の恩師となるデイブ・リーブマン、作曲家のジョージ・ラッセル、世界中の音楽家から尊敬を集めるジョー・アラッドの3氏だ。この3人に学べば人生の答えを得られるのではないかと、なぜか確信に近い希望を抱いた。
「とりあえずバークリーに入って、そこから探せばいい…」
当時、米ボストンのバークリー音楽院は、世界で唯一ポピュラー音楽を教育する音大として知られていた。その名門校の第一印象は「懐が深い学校」だった。
「ろくに演奏したことない、楽譜も読めない、ブルースも知らない。そんな状態で受験しちゃって『駄目だ、できない、不合格だ!』って頭抱えていたら、先生が『合格』って。できないから来たんだろ、って言うの。そんなんでいいのかって思いましたね」
それまで受けたことのない「教育」の場が、そこにはあった。
ー 続く ー
(スタッフより)