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【転載 『楽譜のいらない音楽授業』_ 第3回 ♪「できないから来たんだろ」♪ 】

肺炎でドクターストップを受けた田野城は
ニューヨークレコーディングを中断し、
音楽業界から暫く退いていた時期があります。
その間、自身の経験から強く音楽教育に関心を持ち、
さまざまな垣根のない教育実践を行ってきました。

その活動が10年目に入った頃、和多田 進さんから
お声をかけていただき、和多田さん編集長の地域ポータルサイト
『北海道人』にて初めてのメルマガ連載を担当させていただきました。(2007年3月)

「好きなことを自由に語っていい」ということで始まった
『田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」』

演奏家に本格復帰を決意するまでの約1年6ヶ月続いた記事の中から
スタッフの独断と偏見でピックアップしたいくつかを皆さんとシェアしたいと思います。

型破りで破天荒な田野城の半生や、考え方が読者の皆さんの清涼剤になれば幸いです。

では、イントロダクションvol.3 をどうぞ。<聴き手・小笠原 淳さん>

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【イントロダクションvol.3 ♪「できないから来たんだろ」♪ 】

 ジョン・コルトレーンやデイブ・リーブマンのサックスを聴いた時、同じ楽器をやりたいと直感的に思った。
 「何を考えてこういう音を出せるんだ? 何を食べたらこういう音になるんだ? そうした疑問を解決したくてたまらない。でも、そのためにどこに行けばいいのかがわからない」

 心の師が3人いる。のちに実際の恩師となるデイブ・リーブマン、作曲家のジョージ・ラッセル、世界中の音楽家から尊敬を集めるジョー・アラッドの3氏だ。この3人に学べば人生の答えを得られるのではないかと、なぜか確信に近い希望を抱いた。
 「とりあえずバークリーに入って、そこから探せばいい…」
 当時、米ボストンのバークリー音楽院は、世界で唯一ポピュラー音楽を教育する音大として知られていた。その名門校の第一印象は「懐が深い学校」だった。

 「ろくに演奏したことない、楽譜も読めない、ブルースも知らない。そんな状態で受験しちゃって『駄目だ、できない、不合格だ!』って頭抱えていたら、先生が『合格』って。できないから来たんだろ、って言うの。そんなんでいいのかって思いましたね」

 それまで受けたことのない「教育」の場が、そこにはあった。

 ー 続く ー

(スタッフより)

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音楽のことで悩んでいる人へ

ホ−ムペ−ジを開設してから、僕のもとに「アメリカに行きたい!」「留学したいのだがどうすれば良いでしょう・・・」「サックスを使って即興演奏をしたい!」など、数多くの熱いメッセージが届けられている。こういった意見が届くたび、かつて僕もあなた達と同じ時期、心に抱き漠然と悩んでいた事を懐かしく思う。

田野城寿男プロフィール

サックス・プレーヤー。1958年生まれ。78年、ボストンのバークリ−音楽大学入学。在学中、ニューヨークでデイブ・リーブマンにサックス、フルート、音楽理論を師事。・・・91年、「25周年記念 スイス・モントルー・ジャズフェスティバル」に出演。この年、特別プロデューサ−として迎えられたクインシー・ジョーンズは、田野城の音楽とオリジナリティを「おまえは誰にも似ていない」という言葉で認め、抜擢した。

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世界共通の言語である音楽は、国や民族、宗教の違い等を超えて、人の心を豊かにしたり、幸福にする力を持っています。だから音楽をする人間は地域や社会に貢献できるし、貢献していくべきなのです。

僕の言葉では、音楽は、人が人を想う「愛」だということになります。

田野城寿男が考える音楽教育

私は小学校から高校に至る迄、大の学校嫌いでした。
登校拒否に無断欠席は当たり前。もちろん、塾なんて行った事がありません。何故かというと、私にはどうしてもわからなかったからです。

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