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みんな同じ。

名古屋で2発の異なるライブパフォーマンスが続いたので
横浜に入った時は心身共にどうなるかと思った。

とても疲れていたのに、
不思議と3発目も心地よく演奏できた。

自分にとって節目となるライブ。

そこにYさんが来られていた。
横浜山手のマンションに住んでいた頃の管理人さん。
僕が現役復帰後初の横浜での
演奏にも来てくださり…まるでYさんは

僕の人生の証人。

また当日まで全く知らなかったのだが、
今回横浜で初共演したドラマーは、
慶応ジャズ研からバークリーへ留学された
たまたまだが僕の後輩になる方だった。

ライブが終わった後、メンバー達から
いろんな話を聞いた。

関東のミュージシャンの間では僕、有名人なんだって。
理論派で。
ところが実際は思いのほか気さく。

そして僕とのセッションが
すごくリラックスできたからまた驚いたそう。

リハからはじまってずっと僕は一貫して皆に

「自由に楽しめばいい」
「細かなことはいい」

それを言い続けていたそうなんだ。

だららこんなにリラックスしてできた
セッションは珍しいと。

う~ん。
なぜそういう言葉が出てくるのか
僕自身にもわからない。

でも僕も心地よくできた。


翌日は天気が良かった。

都内へそのまま移動するつもりでいたのだが、
チェックアウト時にフロントに
一旦荷物を預けている自分がいた。

そしてすたすたすたっと元町駅へ向かった。

今思えば、何かに突き動かされていた。

元町の坂をのぼりブラブラと何も考えずに。

“そういえば、昔住んでいたマンションが近くにあるなぁ。”

そう思った僕はその山手のマンションへ。
ちょうどリフォームされたばかりだった。

「最上階に住んでいたんですよね」

管理人さんに案内されて入ったところは
なんと偶然にも僕が住んでいた部屋だった。

まさしく僕が北海道に移住する前に住んでいた部屋。

わぁー!

140119_1.jpg

開けて入った瞬間に原点に戻った。

住んでいた頃は、古いマンション。
リフォームされて今は全く違うのに、
当時の風が吹いた。

ふわぁーっと。

オーバーラップしてふわぁーっと。

当時の空気や風を感じた。静かに。

朝早く散歩して山手の公園からみた景色。
リビングで飯を食っている感じ。
ベランダから外のベイブリッジや花火を眺めたあの頃。
いろんなものがフラッシュバックした。

いままで忘れ去られていたいろんなものが。
まるで蓋が開けられたように。

“この数十年間…オレは何をやっていたのだろう。”
眠りから目覚めたようにそう思った。

身体はすごく疲れているのにすごく心地いい。

心地よい空間や時間がつづいていく。

140119_2.jpg


僕ははっとした。

幸か不幸かオギャーと生まれて今、生きている。

しかし間違いなくあと数十年後には死ぬ。
オレは死んだらどこへ行くのか。

輪廻転生…
 
自分が蝉のように感じた。
表に出て来たと思ったらあっという間。

ひょっとしたらオレもそうで。
あっという間に永遠の眠りにつくんじゃないかと。

ピタッと。電池が切れたロボット。

そういうことをじーっと考えてると、
生きていることが相当貴重なことに改めて感じた。

何かしらで選ばれて生まれてきた理由。

食うか食われるかの世界。

でも人間だけじゃないか。
芸術や文化というものをつくったのは。

伝承する人がいなくなれば
こんなものはぷっつり切れてしまう。

永遠の眠り。
誰かが電池を入れないかぎり。

誰がよんだかは別として、
今生まれてきた人はすべて
両親に感謝したほうがいい。

どんな親であろうと。

食って寝るだけではダメだ。成長しない。

それは日々の生活に追いまくられて
本来あるべき人間の姿から遠ざかっているのかもしれない。

生きている間にベストを尽くすだけ。
お呼びがかかったら眠りにつくだけ。

生の世界にきたからには、
与えられた生を全うしなければならない。

殺してはいけない。

横浜の街を歩きながら断片的にふわぁーとでてきた。

昔の街並ではないのだが違和感がない。
これだけの時間を経たのに
良いチャンスを与えてくれた。

大切なことは生かされているということ。

希望論を語ってるだけではいけない。
大切なのは今でしょ!!!

ここまでできる人間なのに、
社会がどうの経済がどうの…

いつのまにか戦争をしたり
受験をしたり、こいつはダメだとか。

そういうために生まれてきたのではない。

あんたもすごいけど、
この子もすごいってこと。
そのところをわかっていない。
違うわ。

ずれている。

生まれる前と死んだ後も大事。

選ばれたということは、
同じ仲間なんだ。

それなのに争いあってる。

勝ち組だとか負け組だとか。

そんなことは全然関係ない。

ここに生まれてきた人はみんな同じ。

140119_3.jpg

横浜の街でそれらすべて体感できた。

生まれてきていることが素晴らしい。

また生まれかわると思うが
パツッと切れるのもまた面白い。

自分の役割を果たしているのか。

しょうがないと思うことはしない。

大切なのは今でしょ!!!

ここに生まれてきた人はみんな同じ。

電源が落とされるその日まで、
それまで苦しみや悲しみを全て。

芸術を生み出してもっと発展させていく。


ライブの後、メンバーから

「田野城さんっていうひとは、
 最初から最後まで全力疾走しますね」

死ぬほどいくぞ!

みんな死ぬほどきた!

オレの気持ちがビンビン伝わるって。


生きまくるぞ!

オレの役割を。
力を発揮するぞ。

横浜の街が僕の羅針盤を
調整してくれた。

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ホ−ムペ−ジを開設してから、僕のもとに「アメリカに行きたい!」「留学したいのだがどうすれば良いでしょう・・・」「サックスを使って即興演奏をしたい!」など、数多くの熱いメッセージが届けられている。こういった意見が届くたび、かつて僕もあなた達と同じ時期、心に抱き漠然と悩んでいた事を懐かしく思う。

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サックス・プレーヤー。1958年生まれ。78年、ボストンのバークリ−音楽大学入学。在学中、ニューヨークでデイブ・リーブマンにサックス、フルート、音楽理論を師事。・・・91年、「25周年記念 スイス・モントルー・ジャズフェスティバル」に出演。この年、特別プロデューサ−として迎えられたクインシー・ジョーンズは、田野城の音楽とオリジナリティを「おまえは誰にも似ていない」という言葉で認め、抜擢した。

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田野城寿男が考える音楽教育

私は小学校から高校に至る迄、大の学校嫌いでした。
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